本遺跡では蔵骨器以外の遺物として、沖縄産陶器、本土産磁器、青花、白磁、瑠璃釉、土製品、金 属製品、玉製品、煙管、銭貨、ガラス製品などが出土しており、先に報告を行った1号墓・10号墓・
16号墓以外の古墓でも本遺跡を語る上で重要な資料が見つかっている。また、2号墓から転用蔵骨器 のパナリ焼が出土しており本稿で報告を行うこととした。
パナリ焼は破片による出土であったが、接合により頸部から底部まで復元できた資料である。残存 状況からは頸部を打ち欠いた資料なのか断定し難い。
沖縄産陶器は壷屋以前の湧田古窯、喜名古窯・知花古窯などといった壷屋焼以前の窯の製品と考え られる資料が出土しており、12号墓からは喜名焼の伝世品とされている類例資料と類似したものや湧 田古窯跡において類例が見出せる資料が出土している。
本土産磁器は赤絵が施された青磁瓶や白磁の合子が出土しており、この資料は肥前系の資料に類似 している。また、それ以外の製品として、型絵付けが施された近現代の碗も出土している。
金属製品は釘、簪、指輪などが出土している。釘は銅釘と鉄釘となっており、銅釘は角釘のみ、鉄 釘は角釘を主体に丸釘が少数出土している。簪、指輪は釘類と比べて点数が少ない。簪は女性用のも のとなっており、頭部が耳掻き形のものと匙形のものが確認されている。簪、指輪は副葬品であると 考えられる。
玉製品はガラス玉が出土している。ガラス玉は先に報告した1号墓の資料以外に12号墓から丸玉 が出土している。両者とも巻き上げ技法によって作られるが、サイズは異なっており1号墓出土資料 の方と比べて、12号墓出土資料はサイズが小さい。
1号墓、10号墓出土資料以外の煙管は陶製無釉のものと金属製のものが確認されている。陶製無釉
の資料は1号墓の出土資料同様、雁首のみの出土となる。但し、1号墓出土資料とは異なり、器面が 焼しめられたものとなっている。金属製煙管の状態が悪いため、本稿では陶製のもののみ報告を行う。
1号墓・16号墓以外の出土銭貨は永樂通寶、寛永通寶、不明銭、半銭、無文銭が挙げられる。銭貨
のなかには複数枚が錆によって固着したものがあり(図版24の8)、それらの資料の一部には繊維質 の物質が銭貨の孔に残存しているものが見られた(図版24の9)。このことから無文銭は複数枚を縄 で束ねた状態で墓室に納められたと考えられる。なお、固着している銭貨は寛永通寶、無文銭が見ら れた。近世の銭貨以外にも明治期の半銭も出土しており、このことから明治期以降の人の出入りを想 定できる資料となっている。
ガラス瓶は戦中から戦後にかけて持ち込まれたものと考えられ、「Duraglas(ダグラス社)」の陽刻 を有することから外国産の可能性がある。丸瓶と十角形の角瓶があり、小形の瓶であることから薬瓶 であることが考えられる。いずれの資料も風化によって虹彩が生じている。
以上、上述した遺物を図と詳細な観察により報告し、銭貨や金属製品については観察表を用いて報 告を行う。
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転用蔵骨器:パナリ焼
第23図1は接合により頸部から底部まで復元 できた資料である。墓室内奥壁側の崩落土より出 土した。残存状況から頸部を打ち欠いた資料かは 不明。最大径は胴部にあり、38.4㎝を測る。内外 面共に丁寧なナデ調整が施され、焼成も良好であ る。胎土は黄褐色または橙褐色を呈し、白色の細 粒を多く含む。底径22.6㎝。
〔2〕沖縄
〔1〕蔵骨器(身)(第23図1、図版23の1)
産陶器(第24図1~4)
沖縄産陶器は壷屋以前の湧田古窯、喜納古窯・
知花古窯などといった壷屋焼以前の製品と考えら れる資料が出土しており、壷屋焼と考えられる資 料は少ない。このことから蔵骨器以外の資料から も本遺跡の年代観をうかがい知ることができる。
蔵骨器以外の沖縄産陶器は瓶や徳利といった器種 が主体となる。
(1)
(1)
瓶(第24図1~3、図版23の2~4)
第24図1は口縁部が欠損した資料で、12号墓の墓室内崩落土より出土した。黒釉が頸部から腰 部まで掛けられており、底部まで釉ダレする箇所も見られる。内面は頸部途中まで黒釉が掛けられ ている。胴部に3箇所、釉薬が掛っていない箇所があり、これらの箇所は気泡が目立つ。以上の箇 所は焼成時に他の製品と接していた箇所と思われる。底部には焼成の際の歪みが見られる。胎土に は石英粒などが含まれる。法量は、底径約 7.20cmを測る。湧田窯跡の一括廃棄土壙出土資料に類 似した資料が見られる。
第24図2は高台部分が欠損した資料で、12号墓の墓室内崩落土より出土した。外面は茶褐色の
泥釉が掛けられ、内面は頸部途中まで泥釉が掛けられている。外底面の一部に泥釉が見られること から、高台内面まで釉が掛っていた可能性がある。口縁部はラッパ状に開き、頸部がすぼまり、胴 部が膨らむ。伝世品から高台は高さが低いものと思われる。腰部にはケズリによって成形された蓮 座(連弁)文を有する。蓮座(連弁)文は5個あり、蓮座(連弁)文にはそれぞれ沈線による装飾 が見られる。胎土には小形の貝、石英粒などが混入物として含まれる。口径は4.60cmを測る。本 製品は喜名焼の伝世品といわれている資料に類似している。
第24図3は口縁部から頸部までが欠損した無釉の製品で、5号墓墓室床面の埋土より出土した。
肩部はナデ肩になり、胴部が張る。底部は高台を持たず、ベタ底となる。胴部最大径の上部に一条 の圏線が見られ、それ以外には文様・圏線は見受けられない。底面は調整がなされておらず、凹凸 が目立つ。底面中央付近に窯印の可能性がある線彫りが施される。器色は褐色を呈し、素地には灰 色の素地と褐色の素地がサンドイッチ状に入っている。本資料の底径は5.9cmを測る。
(2)徳利(第24図4、図版23の5)
第24図4は無釉の製品で、5号墓墓室床面より出土した資料である。器面には気泡が複数見ら れる。頸部に一条の沈線が廻る。畳付はきれいに成形されておらず、凹凸が目立ち、焼成時の溶
第 23図 転用蔵骨器(パナリ焼)
0 10 20cm
S=1/6
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着物が付着する。法量は口径が6.0cm、底径が6.60cm、器高が13.60cmを測る。
〔3〕土製品(第24図5、図版23の6)
第24図5は類例資料から七輪の灰おとしと思われる製品で、12号墓墓室内崩落土より出土し た。素焼の製品で、平面形は歯車状を呈している。側面観はレンズ状となり、緩やかな凸面と平 坦面を有している。中に7個の孔が有しており、孔は砂時計状に中ほどで窄まる断面形状となる。
凸面はナデ調整などの器面調整が行われているが、平坦面は器面調整があまり行われておらず、
器面に微弱なゆがみが見られる。凸面の端部には布目痕も見られる。胎土中には石灰岩礫、赤色 粒などを含む。また、籾殻の圧痕が見られたことから、籾殻も胎土中に混入している可能性があ る。長軸11.8cm、短軸9.4cm、最大厚1.9cmを測る。なお、類例資料は那覇市に所在する御 細工所跡より出土している。
第 24 図 沖縄産陶器・土製品
0 S=1/2 10cm
2
3
4
5 1
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〔4〕青花(第25図1、図版23の7)
碗の口縁部片が1点出土している。第25図1は4号墓前壁基底部埋土より出土した。口縁部は 外反しており、口唇直下に2本の圏線を施した後、圏線の下に唐草文を施す。内面の口唇付近には 呉須によって一条の圏線を施している。
〔5〕瑠璃釉(第25図2、図版23の8)
瑠璃釉の製品は1点が出土している。第25図2は小杯の完形品で、8号墓墓室奥壁棚より出土し た。口縁部は微弱に外反し、腰部は丸みをもつ。高台は緩やかに屈曲して畳付へと至る。瑠璃釉は 外面、高台内に施されるが、腰部以下は施釉にムラが見られる。内面には透明釉が掛けられ白色を 呈している。胴部に焼成の際に他の製品と当たり露胎する箇所が見られる。法量は、口径が3.6cm、 底径が1.8cm、器高が1.8cmを測る。産地不明。
〔6〕本土産磁器(第25図3~4、図版23の9~10)
第25図3は青磁に赤絵で文様を施した瓶で、5号墓墓室床面埋土より発見された。頸部はラッパ 状に開き、胴部の下半部が最大径となる。胴部から高台にかけて微弱な凹凸が見られる箇所があり、
この凹凸は焼成の際の窯変と思われる。高台は微弱ながらハの字状に開く。畳付は露胎しているが、
一部に釉が残る。また畳付の一部に糸切り痕のような痕跡が見られる。文様は胴部に赤絵によって 柳文と蝶が施され、柳文の下に一条の圏線を廻らせている。高台には2条の圏線を廻らせる。法量 は口径が推定3.6cm、底形5.5cm、器高が14.3cmとなる。本資料は肥前系の製品の可能性がある。
第25 図 青花・瑠璃釉・本土産磁器・近現代磁器 2
1
5
3 4
0 S=1/2 10cm
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